俺様の強迫観念的生活

強迫性って誰にもあるでしょ。俺様の個人的見解を述べていきます。

精神科医ってピンキリなのだ

J子先生とT男先生

このブログにはふたりの精神科医が登場します。一人は私が思う一般的な精神科医、対処療法的な50代の女医です。20年も診てもらっていました。
もう一人は40代の男性医師、ここ2年ほど診てもらっています。日本の精神科医にあって彼の手法は少数派です。少数派だから有効であるとは限りませんがね。そういう体で後光効果を患者に植え付けるタイプの医者もおりますが。
この二人の医師は診療法が大きく異なります。何が違うのかを一回のエントリーで語るのはとても難しい。筆力の問題もありますし、これは精神医学の臨床とは何かを考える大テーマとなってくるのです。私は断片を記していくしかありません。
私はこれまでの診察を思い出しながらポツリポツリと呟いていく。ここに書き残し、読み返したのちに診察の方法論がなんたるかが浮かび上がってくれればよいなと思います。

体調がよろしくないもので…

ブログスタートから2回目ですでに滞ってしまいました。ブログのスタイルをあれこれ考えてみるのですが、プランニングが頭の中に出来上がらないのです。
この完璧思考はまさに強迫的。走り出しながら考えることを苦手とする俺様ならでわです。
毎日、きちんとした文章をたんたんと書き連ねていくことを理想としますが、鬱状態とはそれができないのが症状であります。鬱の病状下、思考が固く認知が歪んでいる現在をなるべくならそのまま記したい。病の臨場感はブログの醍醐味ではないですか。だからそれを伝えたい。文章は乱れてもいい。いや乱れるほうがいい。なんて考えたりもするが生のままでは作文にならない。読み手が読み進めることができない。この兼ね合いが難しいですね。

メンヘラブログにありがちな痛い文章は恥ずかしいですから。

とりとめなくてすみません。ほんとメモというか走り書きになってしまいますが今回はこれでアップします。

強迫観念的プロローグ

強迫観念にさいなまれているんです。

昔からそうだったわけではなくてここ数年だと思うのですが、それを医師より指摘されたのが2年くらい前。
ずっとうつ病のつもりで生きてきました。もうバリバリの20年選手ですよ。
もともとクヨクヨした性格で、ウディ・アレンのように文句をいいながら生きてきました。
クヨクヨしながらもしぶとく生き抜いている奴らは多いと思います。私もその一人でした。
かつては一生懸命に働いていました。オーバーワークでうつ病になるという企業戦士にありがちなコースを私も当然のように歩むわけですな。
そういう方向へ自らいっちゃう性格なんですから。“そこにオーバーワークがあるからさ”って山男と同じです。
休職を数回繰り返して転職といううつ病サラリーマンお決まりのコースを辿ってから何年になるでしょうか。あまり振り返りたくもないです。
今は何をしているのかって?
取り組んでいることがあるのですよ、くわしくはいいませんが。そのうちいいますよ。
その取り組んでいることが強迫観念のためにいっこうに進まないのです。頓挫です。人生ピンチです。それでせっせと精神科に通院していましたがよくならない。むしろ悪くなっているのです。薬を飲めばどうなるものでもないことがわかりました。(私の場合ですよ)
それで思い立ってブログに我が強迫性を書き連ねていけば何かがみえてくるかもしれぬと思い、はてなブログを始めました。いきなりプレミアム会員です。

私が一念発起して日記を書くのですから面白くないわけはないですよ。

「おもしれー」って読者を笑かせてみせますよ。ホロリとさせたり。問題提起したり。「それはねーよ」と炎上したり。
この大上段にかまえた物腰が強迫的性格ゆえなんです。あっさり三日坊主に終わる可能性も大だ。
ということで今回はイントロダクション。書きながら方向性がみえてくればよいのです。